第 3 章    テコンドーの起源    〜テコンドー技法発達の背景


3. テコンドー技法発達の背景

民族意識が強く、空手有段者であり、そして、国内で有力な地位にいた崔泓熙将軍は、空手を民族独自の武道へと転化させるため、テコンドー名称を用いて、自らの武道を空手から意図的に分離させた。また、旧来の大韓空手道協会と自らのテコンドー会を統合し、ITF と WTF の母体となった「大韓テコンドー協会/旧名称:大韓テスドー協会 ~ 当初は名称において空手指導者たちと意見対立が続きテコンドーのテの字【跆】と空手道(コンスドー)のスの字【手】を取った「跆手道(テスドー)」の名称を使用」を紆余曲折の後、遂に発足させた。

これを通じ、韓国国内における旧空手諸組織の技法をテコンドー(蒼軒流)技法へと転換させる方向でいたが、朴政権誕生後、国内での統制力を失い遂に大韓テコンドー協会からの退陣を余儀なくされた。

これに対し崔泓熙将軍は国際機構 ITF を発足して国際的世論を呼び起こしながら巻き返しを図った。しかし、朴政権との協調を拒み続けた崔泓熙将軍は遂にカナダへ亡命することとなり、国内における技法の統一は最後までなされなかった。崔泓熙将軍は以降、自らの技法を国際的に普及するため、心血を注いだ。崔泓熙将軍の亡命によって国際機構 ITF を失った朴政権は防衛策として国際機構 WTF を設立し、国力を背景に ITF 封じに取り掛かった。この WTF の護身技法に関しては旧来の空手技法とは多く変わらず、空手や ITF に対し、競技技法の差別化に重点が置かれていたため、護身技法に関しては、多く進化が見られない。

※テッキョンについて~
民族古武術テッキョンは李朝の文尊武碑体制化にその武術性は衰退し民俗遊戯テッキョンとなって近代化の風が吹き荒れる中、辛うじてその血脈を保った。
テッキョン