第1章    武道とは?    〜護身技法について


2. 護身技法について

過去、身命を賭けた戦いに備える訓練として、また、効果的であろう武技習得の手段として、敵を想定した型や試割(居合斬り)、そして、勝負精神と実戦技術を培う手段として、互いに「禁じ手」を制約(寸止め、竹刀)しながらの組手(手合わせ、乱捕り、対錬…)稽古を行った。これら稽古法はどれも実戦に備えるための稽古法であり、それぞれ不可分な関係にあった。言い換えれば、「型」稽古だけでも「組手」稽古だけでも、さらには「試割」稽古や「拳足鍛錬(巻藁や砂袋などを叩き続ける練習方法)」だけでも、総合的に行わず単独的に行えば、それは実戦に備える稽古とはならないということであった。

近代化と共に戦場における戦闘様式は覆され、、特に武器(刀、槍、弓など)を用いる武道技法やこれらを想定する武道技法、また過去の生活様式に沿って体系化された武道技法が、時代にそぐわなくなった。また、民間においても近代的法治国家として個人の権利が尊重され、一定の経済生活が営まれるようなってからは、多くの人々にとって戦闘の場が非日常的なものと化し、護身という範疇にあっても肉薄戦に迫られる機会は以前に比べ頻繁に訪れるものではなかった。

このような理由からそれまでの「護身技法」は、実戦よりも演武の為の技法として、その色合を濃くした。また、個々における個人の技術的優位性の云々よりも、多者の倫理観の確立と健全な国民体育を重要とする考え(嘉納治五郎、船越義珍…提唱)から、競技スポーツとして広く普及された武道は、その技法を「来るべき実戦」よりも「安全性の確保された格闘競技スポーツ」に重きを置くこととなった。

その結果スポーツ化された技法、特に組手競技は他の型や試割(居合斬)とは別に競技スポーツとして急速に発展を遂げた。

また、時代の流れと共に価値観の多様化(大衆→個人)を許容する環境が備わると、武道家たちは、このスポーツ化された組手競技に対し、さらに、勝負精神(勇気、覚悟と決断力、平常心など)と、技術的「実戦性」の追求を図り、安全性の確保という条件の下、熾烈な競争を繰り広げた。

これは防具の機能性の向上なども拍車をかけ、さまざまな流派を台頭させるに至った。

「分裂」: 大きく 4 タイプ

(1) 武道継承派~

彼らは、東洋の倫理道徳観と護身技法の体得を最も重要とし、従来の武道性を失わせない為に一切の競技化を否定した。

(2) スポーツ化推進および武道継承派~ 

彼らは、東洋の倫理道徳観の体得を重要としながらも活人拳と武道のあり方を模索し、従来の武道性を失わせない為に、型(約束組手も含む)や試割(居合斬)を衰退させなかった。また、組手競技においても「活人拳」という倫理的立場に基づき安全性を損なわず、社会ルールを守る場としての競技の場、すなわち教育の場とした。

したがって、「効果的護身技法」(殺法)と効果的競技技法(活法)の二つのまったく異なる技法を同時に修練する方法をとった。

(3) スポーツ推進および武道模索派(従来護身技法否定)~

彼らは、東洋の倫理道徳観の体得を重要としながらも、従来の護身技法を否定した。

つまり、スポーツ競技(多くの技法が制約)を通してのみ実証された技法だけが有効と考え、この競技スポーツへの参加過程を修練の場と考えた。

結果、組手競技のみを実施するに至った。

(4) 武道離脱派(興行格闘家)

武道の技術的根幹の一部に過ぎない組手競技(安全の確保された競技)だけをもって、いわゆる「実戦性」を強調し、武道本来の目的となった「倫理観の確立」を忘却させた「格闘家」たちが台頭した。

これは、商業目的である興行的側面だけに目を光らせたいわゆる「商業格闘家」の台頭を意味する。彼らは、「最強の格闘技」、「最強の格闘家」、「真の強さ」、「死闘」などを宣伝材料とし、危険と野蛮を売りとする興行をもって、連日、マスコミを賑わし、格闘エンターテイナーとしての道を歩むこととなった。