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 あとがきにかえて

● あとがきにかえて

 − 私の武道観 −

桃李不言下自成蹊

私は「秩序なきところに真の自由も平和もあり得ない」と考える。
「秩序」は互いに相容れない「自由」と「平等」を共存させ「調和」させる鍵である。「自由と平等の調和」とは「平和」であり、「真の平和」とは人が人を殺さない「自他共栄」の世の中である。
複数の者が、それぞれに自己中心的な意見を通せば、つまり、それぞれの「自由」を主張すれば、「不平等」が生じる。
この「不平等」を解消させることのできるもの、これが、「秩序」である。「秩序」は多くの犠牲の上に成り立ち、且つ、先人たちが築き上げた「法」であり、「不文律」である。同時に、「秩序」は、われわれが後世のために、時代の要求に沿って犠牲を払ってでも変えて行くべきものでもある。
人が「自由」を主張するためには、まず、この「秩序」を守らなければならない。
これは、「権利」を主張するためには、「義務」を果たさなければならないことと同じである。
現代は「個人の自由」を尊重する時代である。同時に「不平等」な社会である。
不平等な社会とは力のある者が力のない者を抑圧する社会である。
だから真の「自由」を実現させるためには「不平等」を「悪」とし、「平和」を「善」とし、「悪」である「不平等」を無くす「努力」をしなければならない。
「努力」は「力」を養う作業であり、「力」は政治力、経済力、知識力、技術力、人徳力、体力である。
「善」を愛し、「悪」を憎む、そして、「勇気」をもって行動する。これが「仁」である。
「力」を備え、正しいときは強者の前でも決して怯まず、誤ったときは弱者の前でも怯む勇気を備える。
「仁」を実践することは「徳」を積む作業であり、「徳」を積めば、多くの人から尊敬される「人格者」となる。
「武道」はこの「人格者」を育成することを目的とする。
キムズノート第一章でも記した通り、「武」は平和の安定のものでなければならず、いたずらに戦い、競い、また、傲慢な人格を生むものでもない。
「武は文をもって成す」と考える私にとって「文なき武」は「真の武」になり得ない。
この「文なき武」がどんなに研ぎ澄まされようとも「真の武」の価値には及ばない。
だから、百人の「格闘家」をもってしても一人の武道家には及ばない。

桃李不言下自成蹊

2002年1月13日
金省徳