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 第6章 テコンドーの可能性 〜現代武道の可能性

第6章 テコンドーの可能性

1.現代武道の可能性

[潜在的可能性]

現代武道は既存の他のスポーツとは異なり礼や徳をはじめとするアジアの倫理道徳観を健全な肉体と共に育成させると言う点で稀有なスポーツといえる。したがって、武道家は単に「強さの証明」にこだわる興行格闘家とは質的に異なる。これは、「武技:殺傷を目的とする技法」よりも精神修養を重んじる古来武道に基因する。
武技を「銃や刃物」に例えれば武道は「銃や刃物を扱う者の心得」といえる。精神修養なく武技の練磨を図れば、実弾入りのピストルを何も知らない子供に与えることと同じ結果を招来する。
したがって、武道は精神修養を技法以上に強調するものなのである。これを世界的規模、もしくは人類的規模で現在、我々の置かれている社会に照らして考えた場合、どうだろう?現在、世界は驚異的な科学技術の進歩を遂げ、物質万能時代を迎えた。
しかしながら、人類はこの「技」を凌駕する精神道徳を放棄し、物質の奴隷と堕落した。
人類は、地球環境を無視し、利己的な経済活動を推し進めるあまり、不均衡経済を生じさせ、そして恐慌と戦争を幾度も繰り返してきた。
また、このような過程の中で政治、宗教、人種、民族など、多くの問題に対立構図を作り出した。
結果、人類は核兵器をはじめとする大量殺戮兵器を台頭させ、また、驚異的なスピードで地球自然環境を破壊させるに至り、遂に自らの生命を断とうとしている。
このような危機的状況を救う者は、人類の良心、そして、これを指針とする行動の他はない。
いうまでもなく、人類の良心とは個々の良心ではなく全体の良心であり、それは「力ある正義」、つまりは、力ある先進諸国の国民が、自国の世論を形成させることの可能な良心であり、同時に世界規模での国(政治)、民族、宗教、人種を超えた連帯的枠組みでの世論を形成させることの可能な良心である。
現代武道は高尚な人格陶冶を目的とし、人々に健全な肉体と明確な倫理道徳観を与え、延いては社会に対し、マジョリティ−な正義と勇気、秩序と平和、そして活力をもたらす可能性を秘めている。