テコンドー キムズジム

 
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 第5章 創始者の証言
 〜世界選手権・反軍事独裁政権活動・北朝鮮へのテコンドーの普及

〜世界選手権・反軍事独裁政権活動・北朝鮮へのテコンドーの普及

キム博士:

崔将軍、あなたは1974年カナダのモントリオールで第1回世界テコンドー選手権大会を開催しておられます。世界選手権は今日まで続いていますか?

崔将軍:

はい。1999年の9月、第11回世界選手権がアルゼンチンで開催されます。1969年までに、ITFの加盟国は30カ国になりました。第1回の世界選手権大会は韓国で開催しようと思っていましたが、実現しませんでした。カナダに到着したとき、私は韓国にいた頃よりずっと自由に選手権大会を企画・開催できることに気がつきました。第1回はカナダで開催され、次から世界選手権はアメリカ、アルゼンチン、スコットランド、ギリシャ、ハンガリー、再びカナダ、北朝鮮、マレーシア、ロシア、そして今年再びアルゼンチンで開催されます。世界選手権では、マッソギ(組手)、トゥル(型)そしてウィリョク(試割)の競技を行います。

キム博士:

多くの人が、あなたが韓国政府に反対する政治的活動に巻き込まれていると話しています。これらの非難に対して何かコメントしていただけますか?

崔将軍:

人々は、「反政府」と「反独裁者」の違いを理解していません。私は独裁者だった朴正煕と彼に追随する人間たちと戦ったのです。私は朴正煕を誰よりもよく知っていました。私は朴が大統領に相応しくない人間だと信じていましたし、私は彼が合法的な大統領だったとは思いません。
彼は日本の陸軍士官学校を卒業しており、日本の植民地支配の時代には朝鮮革命軍と戦ったのです。日本から韓国が解放された後、彼は韓国陸軍に入り、韓国政府に対する反乱を企てました。彼の軍法会議の間中ずっと、私は、彼に死刑判決を言い渡した判事の1人を務めていました。私が彼のクーデターに参加したのは、私が、軍の行動が陸軍参謀総長だった張都暎将軍の指揮で行われていると信じていたからです。
しかし朴は張将軍の名前を利用しただけで、クーデターに参加した多くの将軍をだましたのです。張将軍と私はかつて朴の軍法会議に判事を務めていました。私を含む多くの将軍たちから、大統領に立候補することを反対されると、朴は我々将軍を軍から退役させ、張将軍をアメリカへ亡命に追いやりました。
 大統領になると、朴は何度も憲法を改正し、彼は事実上「終身大統領」となりました。そしてKCIAを使い、彼は韓国国民の自由を厳しく制限しました。結果的に、このような政治的環境が私をカナダに亡命させました。
 私はカナダで、韓国で何が起きているのか世界中に知らせようとしました。そしてメディアを通じて、私は韓国軍に独裁者朴を打倒し、韓国に民主主義を回復するようにと強く説きました。朴の独裁政権は、1961年から1979年まで18年間も続きました。そして何が起きたでしょう?朴は彼が信頼していたKCIAの部長、金戴圭将軍によって殺されました。朴の死は、全体主義的政府の終焉ではありませんでした。全斗煥将軍、廬泰愚将軍が権力を握り、1990年の最初まで軍事政権は続きました。このような状況下で、私は独裁政権と戦い続けました。韓国国民と戦ったのではありません。

キム博士:

いつ、またどうして北朝鮮を訪問したのですか?またこの訪問はITFの運命をどう変えましたか?

崔将軍:

私がカナダに亡命した理由の1つは、思想・民族・宗教または国籍に関係なくテコンドーを世界中に広めることでした。カナダで私は、北朝鮮でテコンドーを教えたら良いと思うようになり、そのための指導者を訓練しました。北朝鮮を通し、私はテコンドーを他の共産主義国家や第三世界の国々へ広めることができると思いました。

資本主義の国で私は、金儲けのためだけに道場を開いている、テコンドーをえる資格のない多くの指導者を見てきました。
私は西洋の商業主義に汚染されていないテコンドーの指導者を、北朝鮮で創り出そうと決心しました。このやり方なら、真のテコンドーの精神と技術は進歩すると私は考えました。そしてこのような動向は、自由世界の指導者たちの刺激となり原動力になると考えました。
私によって訓練され、海外で教えていたテコンドーの指導者のほとんどは、WTFの創立と共に私から離れていきました。1980年までに、まだ私と一緒にいた韓国人指導者はたった10人になっていました。成長した教え子たちが私から離れていくのは、大変心が痛むものでした。
しかしこの出来事は私に、新しい技術の開発と、指導者の新しい発掘場所を探す機会を私に与えました。
1982年、私は朝鮮民主主義人民共和国の体育委員会委員長、Kim Yoo Soon氏より、テコンドーの演武団を連れて行くように招待を受けました。
副総理大臣のChung, Joon Ki氏をはじめ多くの政府高官が、平壌空港で15名の演武団のメンバーを出迎えてくれました。2週間の滞在の間、我々は多くの都市を巡回し、演武会は大成功しました。
 実際あまりの成功のため、我々が北朝鮮を発つ前にChung副大臣がこういいました。「テコンドーを我が国でも教えることに決定しました。ですから、テコンドーの指導者を派遣してください」
 平壌から帰ってくると、私は半年間、パク・チョンテ/Park Jung Tae師範を我が家の地下室で訓練し、空手の動きの癖を排除しました。パク師範は1982年の2月から北朝鮮へ行き、テコンドーを教え始めました。
彼は1か月20,000ドル(現在の為替レートで約244万円)の給与を受け取り、7カ月間に渡ってテコンドーを教えました。1982年の9月、私は北朝鮮に戻って、2日間のセミナーを行い、より細かなトゥル(型)と技術を指導しました。
 44人の生徒が審査を受けました。19名の生徒が黒帯4段の審査に合格し、残りの生徒が3段の審査に合格しました。審査の後、イ・キハ/Rhee, Ki Ha師範は大変満足し、こんなに短期間に彼らはどうやってたくさんのトゥルと技術を学んだのか、と私に尋ねました。これはテコンドーの奇跡だ、と。私自身も大変昂奮し、イー師範とパク師範にこう言いました。「今や私は、世界中にテコンドーを広めるのに充分な数の指導員を持っている」
 新しく昇段した指導者たちと共に、我々は平壌や南浦(Nam Pho)、天津(Chung Jin)市で演武会を行いました。彼らは熱狂的な賞賛を受けました。私はパク師範の、北朝鮮での完璧な指導を褒め称え、彼を黒帯8段に昇段させました。
 現在北朝鮮では、小学校から大学まで、体育の時間にテコンドーの訓練が行われています。北朝鮮で行われているテコンドーの水準は世界一です。そして北朝鮮出身のたくさんの指導者たちが、海外へ渡り、テコンドーを教えています。