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 第4章 ITFの現況について

※ITFの現況について

崔泓熙ITF総裁(カナダ国籍)は晩年、朴政権時代から韓国政府より架せられている「反逆」の汚名を取り除くため、韓国政府に自らの復権を願い、帰国できるよう努めていたが、韓国政府はこれに対し、消極的な対応を取り続けていた。崔泓熙総裁は止む無く「いずれ統一する祖国へ行く」と関係者に告げ、家族の住むカナダを離れ、北朝鮮へ向かった。そして、その地で生涯を遂げることとなった。

ITFとWTFの統合を心から願って止まなかった崔泓熙ITF総裁は晩年、国力を背景に圧倒的な力を誇示するWTFに対抗するため、また、不足するテコンドー宗主国指導者を韓国で養成できない事情から、これを補うために同一民族である北朝鮮の国力を頼ることとなった。結果、実子である崔重華(カナダ国籍)事務総長がITFの「北朝鮮主導型運営」を懸念し、実父と意見対立を起こした。崔重華事務総長は2001年7月のイタリア・リミニ総会で次期総裁候補として決定されていたが、この総会以降、崔泓熙総裁との対立構図は露骨化し、崔重華事務総長の行動が多くの連盟役員から越権行為や妨害行為と見なされるまでに至った。そして、遂に崔泓熙総裁は翌年1月、ウイーン特別総会の場において多数の役職者の要求を受け入れ、止む無く崔重華事務総長を解任した。

2002年6月15日崔泓熙総裁の死去後、同年9月にピョンヤンで開かれた「臨時特別総会」は「崔泓熙総裁の遺言」を根拠にIOC委員の張雄(チャン・ウン)氏(北朝鮮国籍)が総裁として選出されたとした。一方、崔重華氏は自らが解任された特別総会を、カナダの顧問弁護士を通じ違法と位置づけ、これを無効とした。崔重華氏はITFの合法性を主張しながら同年11月アルゼンチンで「定期総会」を開き自らが新総裁となるグループ(以下チェ・ジュンファグループとする)を組織(本部:カナダ・トロント)した。しかし、故崔泓熙総裁を信奉する欧米各国の古参指導者たちの中で、これまで崔重華氏が引き起こした一連の騒動を知る者は、彼に対し「品性に欠く人物」と唱えながら、加えてITF(崔泓熙氏在任中)が正式に解任した理由を根拠に崔重華氏を支持しなかった。このようなことからチェ・ジュンファグループの中核を担う主要指導陣は彼の息のかかる者と若手新興勢力で構成された。

ITFの有力な指導陣の中で、しがらみ無く自由に意思表示のできる者たちの多くは、これまで臨時特別総会と張雄氏の選出方法に異論を唱え続け、張雄氏擁護派から犯罪者扱いまでされたトーマス・マッカラム事務総長(スコットランド国籍)に多く同調した。彼らは次の問題点を指し臨時特別総会と張雄氏の選出方法が間違っていると主張した。

張雄氏擁護派が故崔泓熙総裁の「100日追悼行事」の名で各国代表者らを招集し、事前に「特別総会」の開催予告をしなかったことは規約違反である。また、急遽、特別総会に賛成する種の署名を強要し、これに賛成しない者が多くいたにもかかわらず、一方的な賛成多数の告知をもって「特別総会」が強行に開かれた行為は不当である。そして、「特別総会」は終始朝鮮語で進行されたが多くの代表者らは朝鮮語が理解できないにもかかわらず通訳が不適切だったこと等・・・。

したがって「張雄氏の選出方法は民主主義のプロセスに反する」と括りながら、本来の規定(リミニ総会決定)に戻ってワルシャワ総会を開いた。結果、カナダ協会のトラン・トゥリュ・クァン師賢8段(カナダ国籍)が選出(以下トラングループとする)されることとなった。(ウィーン地方裁判所はHandelsgericht Wienは2003年、6月6日チャン・ウングループを不法団体だとする判決を下した。)

以上ようにITFという名称を用いて組織される団体は大小合わせて3つの組織に分裂するこことなったが、更に、それまでチャン代表側(以下チャン・ウングループとする)に属していた米国の有力指導者ファン・グァンソンITF事務総長(米国籍:元統合委員長で故チェ総裁の遺言を訳したとされる人物)もチャン・ウングループに対し異論を唱え独自に他のグループとは違う、「合法性」を主張しない世界機構を構築し運営する姿勢を取った(UITF:統一されたITF)。ちなみに、ファン・グァンソン氏は当初、チャン・ウン氏選出に対し異論を唱えたトーマス・マッカラム事務総長を糾弾する姿勢を取っていた。

最も大きな二大派閥組織は本部を従来のオーストリア・ウイーンとするチャン・ウングループとトラングループであった。この2つの組織の間では、合法性をめぐり熾烈な争いが展開された。中でも本部の占有権をめぐる問題は合法的な組織の承認問題につながると考えられ、オーストリアの法廷に持ち込まれ争われる形となった。幾度となくピンポンゲームが繰り返されながらもオーストリア司法当局は、遂にトラングループが従来の組織憲章に基づく合法的な団体であるとしながら、この占有権を認めるに至った。チャン・ウングループは現在、新たに「ITFの合法性」についてこれまでの件とは別にトラングループを告訴している。しかし、協会本部の占有権をトラングループに認める前提として、いわゆる「合法性」を間接的に認めた形となった前裁判判決を踏まえても、今回の告訴はチャン・ウングループにとって非常に厳しい争いになると思われる。

崔泓熙総裁死去後、多くの各国ITF指導者たちは分裂したITFを目の当たりにして翻弄させられた。チャン・ウン総裁(IOC委員;元北朝鮮代表バスケットコーチ)誕生の際、北朝鮮国籍を有する指導者意外の各国指導者の中には「ITFが北朝鮮政府から政治的干渉を受けるのではないか?」という疑念を抱く者もいた。

世界機構の総裁職を一方的な北朝鮮幹部の伝える信頼性の薄い「遺言」で決定すること、また、世界機構の長を遺言で決定すこと自体が心許ないと考える者もいた。他にも定期総会でなく、わざわざピョンヤンで特別総会を開くことなど、二重三重の不信と不安を抱いた。こうした不安感を抱きながらも同時にITF指導者たちの多くは一方で「南北朝鮮の首脳会談が実現したことからオリンピック競技としての統合テコンドーの道が開けるのではないか?」という期待感を抱くものもいた。しかし、IOC副委員長でWTF総裁として統合に有力なキーマンとなるはずの金雲龍氏(IOC副委員長、WTF総裁、新千年民主党議員)が後に失脚し、統合問題が座礁すると、これまでの不安材料を抱えたまま彼らは引き続き困惑することになった。何よりも決定的だったことは、これまで韓国国内においてもIOCにおいても有力な力を持ち、特にWTFでは独裁的な立場にあった人物が、皮肉にもWTFが民主的に健全化されて行くことによって、存在しなくなったことである。つまり、北朝鮮の外交政策に左右されやすい韓国政府からWTFが遠く離れてしまい統合問題の機を逃してしまったという点である。不安材料は事欠かなかった。特に現在、北朝鮮と敵対関係にある国の中で、一般国民を対象として指導運営を行うITF指導者たちにとって「北朝鮮系」というレッテルの貼られたテコンドーを普及して行く事はその運営に支障を来たす恐れがあることを誰もが知っていた。仮にチャン・ウングループが北朝鮮政府から何ら政治的干渉を受けない純粋なスポーツ機構だとしても北朝鮮の国際的信用性そのものが向上しない限り、それを証明することは非常に難しく思われた。現在、チャン・ウングループに属するITF指導者たちにとっては傘下会員に対し、「如何に北朝鮮政治と関係を持たない純粋なスポーツ機構であるか」をどうアピールして行くか?が至上問題となっている。そして、他の派閥に対向する策として「統合」を謳い文句にした場合には「北朝鮮政治と関係を持つ団体」を間接的に認めるジレンマを背負う構図に陥っている。

多くのITF指導者たちにとって最も現実性を帯びた選択判断の材料が、今後の世界大会の規模と内容、有力な加盟国の数、そして、ITFの商標権等の国際的動向であった。だが、これらは一定の期間を通してのみ判断がなされる問題であったため、彼らの多くは、各々の置かれる組織的立場をもってひとまずは様子を窺っていた。

そうした中、合法組織の選択判断基準となるウイーンのITF本部をめぐる裁判の判決が下された。当初、オーストリアの地方裁判所でチャン・ウングループが勝訴した。この結果からトラングループを去り、チャン・ウングループに付く国の代表者もいた。しかし、上告の後、高等裁判所でトラングループが逆転勝訴した。これに対し更にチャン・ウングループは異議を申し出たが、棄却される形となった。

これはチャン・ウングループが、2002年5月開催のギリシャ・テッサロニキ大会までは、状況証拠も豊富で有利だったのだが、トラングループが2005年7月開催のドイツ・ドルトムント大会までに広く組織的に指導陣が世界を飛び回り大小を問わず多くのセミナーやイベントを繰り返した結果、分裂に翻弄する多くの会員を呼び戻すことになり、チャン・ウングループに対抗する状況証拠が準備できたところにあったと推測される。また、この結果に相乗効果も加わり、北欧におけるGTF(グローバルテコンドーフェデレーション)系(故パク・チョンテ【カナダ籍】/元ITF最高技術委員長で日本と北朝鮮にITFテコンドーを直接広めた人物。ITF離脱後にGTFを発足し主宰した)の会員や中東におけるWTF系会員などの流入も相次いだ。

参考資料:崔泓熙総裁「回顧録」、各ITF諸派閥のホームページ記事他

※画像資料

  

  

  

※故パク・チョンテGTF総裁/元ITF最高技術委員長(1942〜2002)

〜【カナダ国籍】/元ITF最高技術委員長で除名(※以下詳細)される当時までは8段師賢および事務総長であった。
北朝鮮(1981普及開始)と日本(1982普及開始)にITFテコンドーを直接広めた人物。故崔泓熙総裁の右腕として卓越した技量を発揮したが、後に背任行為により除名される。
故崔泓熙総裁はこの除名を自らの著書の中で「泣いて馬謖を斬る」心境と綴っている。
故パク・チョンテ氏はITF離脱後1990年にGTFを発足し主宰したが、惜しくも2002年死去。
2006年現在GTF(Global Taekwondo Federation)の後任総裁は夫人の
GrandMaster LindaParkさんが務めている。

パク・チョンテ氏の背任行為
北朝鮮の指導で大成功を収め、多くの弟子から信頼を得たパク・チョンテ事務総長と彼の友人ハン・サンスらは金日成主席に「ITFを捧げる代わりに崔総裁をITFから取り除いてほしい」という旨の嘆願書を出した。しかし、金日成主席に拒絶された後、この話がチェ総裁の耳に入ると彼らはあっけなくITFを除名処分された。