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 第4章 テコンドー組織発達の歴史的経緯 〜植民地下における武道

第4章 テコンドー組織発達の歴史的経緯 〜植民地下における武道

2.植民地下における武道

言うまでもなく、朝鮮半島は1910年以降、日本政府の隷属的支配下にあった。そのため、解放(1945.8.15)まで朝鮮全土に散在した道場(主に剣道・柔術/柔道など)は、本質的に日本の道場そのものであった。

日本政府は1930年代、中国大陸侵略を本格的にはじめるにあたって朝鮮半島で徹底した同化政策を取った。いわゆる「皇国臣民化政策」である。神社参拝から始まり、すべての学校で「皇国臣民の誓詞」(1937年10月制定)を唱えることを義務化し、母国語が日本語であると教え朝鮮語を抹殺した(1938年朝鮮教育令)。

さらに創氏改名(1940年)によって日本名を強要した。このように皇国臣民化政策が強行に実施される中、武道もまた、「自国」(朝鮮=日本)の武道として教育したのである。

ちなみに剣道が日本の中学校必修科目となったのは1911年であり、柔道は1931年である。

1942年(昭和17年)太平洋戦争中、日本武道の統括組織であった大日本武徳会(通称;東條武徳会)は日本政府の外郭団体として、武道界の統制と武道教育に直接当たり、講道館を主体とする柔道界も武徳会の統制下に入った。

また、当時新興勢力だった空手は講道館の傘下にあったので、自動的に大日本武徳会の統制下に置かれた。つまり、当時すべての「武道教育」は軍、警察はもとより教育機関においての武道までもが、日本本土、植民地にかかわらず大日本帝国の唱える「大東亜共栄圏」確立のための人材育成手段として利用されたのである。

※この当時の武道とは主に剣道であった。剣道名称を用いる1911年以前は撃剣と呼ばれ、朝鮮半島には1880年代末に流入した。そして柔道は1909年YMCAを通じて流入が開始された。

※ 空手について

空手が沖縄より本格的に日本本土へ普及されるようになったのは1934年(昭和9年)嘉納治五郎の提議により空手が(財)大日本武徳会の柔道部門に組み入れられてからである。

これを契機に多くの空手家が沖縄から本土に訪れるようになった。(剛柔流始祖 宮城長順、糸東流始祖 摩文仁賢和、本部朝基…)それまでは富名腰義珍(後に船越と改める)を始めとする極一部の沖縄唐手術体得者(唐手)が本土の沖縄学生を中心に東京の各大学などで教えるに留まっていた(1922初めて本土で紹介)。

以後、空手は松濤館, 剛柔流、和道会、糸東流と各流派に別れ独自に発達を遂げる。

※ 大日本武徳会

1895年(明治28年)、桓武天皇による平安京遷都から1100年を記念して、京都岡崎に平安朝時代の大極殿を模造した平安神宮が建立され、桓武天皇がそこに祀られた。当時京都府収税長(現在でいう京都府主税局長)鳥海弘毅は、『桓武天皇奠都(てんと;都を移すこと)千百年記念大祭』が行われる機会に、知名度の高い武術家を全国より集めて演武会を開き、桓武天皇の霊に奉納しようと計画していた。たまたま前年の1894年(明治27年)、日清戦争が勃発したため全国的に武道振興の必要が唱えられるようになっていた。鳥海はこの好機を逃すことなく、京都府知事渡辺千秋、平安神宮宮司壬生基修などと協議し、「大日本武徳会」という武道を奨励する団体を組織することを決定した。

1895年(明治28年)4月17日に大日本武徳会設立発起人総会が開かれ、次のような主な役員を決定した。総裁;小松宮彰仁親王会長;京都府知事 渡辺千秋副会長;平安神宮宮司 壬生基修以後、大日本武徳会は、武道の普及・奨励・指導・大会の開催・武道家の表彰等を一手に掌握し、日本武道の総本山として武道界に君臨した。

1941年(昭和16年)の太平洋戦争勃発に伴い、武道振興の必要性はさらに強調されるようになった。政府は、政府が監督指導する官制の武道総合団体を組織することを決定した。大日本武徳会を始め、学徒体育振興会、日本武道振興会・講道館など武道を奨励・振興する民間団体は多くあったが、政府はそれらの既存武道団体をすべて包括し、日本における最高唯一の武道総合団体を組織することを決定した。従来の大日本武徳会もこの武道総合団体に帰することとなった。政府は、この新しい武道総合団体の名称を『大日本武徳会』とすることを確定した。

1942年(昭和17年)『大日本武徳会』は大幅に組織を改組し、政府の外郭団体として新しく発足した。

1946年(昭和21年)敗戦により大日本武徳会の財産は没収され、解散した。

※大日本武徳会 資格条件;

大日本武徳会では会員に、範士・教士(1943年以降は達士)・錬士の称号を授けた。

・範士の資格条件

一、その道の模範となり、また武徳会の為の功労のある者。

二、満20歳に達してから、40年以上武術を鍛錬した者。(ただし、特別の場合は年齢に関係しない)

三、教士の称号を有する者。

・教士の資格条件

一、品行方正で、武徳会より精錬証を受けている者。

二、武徳会の演武大会において、武術を演じた者。(精錬証とは、技術がすぐれていることを武徳会から認められ、それを証されたものである)

☆文部次官通牒(発令八○号)[1945年11月6日付け]

○終戦に伴う体練科教授要目(綱)の取り扱いに関する件

(二)体練科 武道(剣道、柔道、薙刀・弓道)の授業は中止すること